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福島地方裁判所会津若松支部 昭和42年(ワ)209号 判決

原告

鈴木節子

外三名

代理人

風間誌一郎

被告

福島県

代理人

富岡秀夫

外一名

主文

一、被告は、原告金太郎に対し一一万円、原告節子に対し一九二万九一四六円、原告順子、同由美子に対し各一五九万一四六円および右各金員に対し昭和四二年一〇月二二日より各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二、原告らのその余の請求を棄却する。

三、訴訟費用はこれを七分し、その二を原告らの、その余を被告の負担とする。

四、この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一、当事者の求める裁判

一、原告ら

「被告は原告金太郎に対し六〇万円、原告節子に対し二、三八七、四二一円、原告順子、同由美子に対し各二、〇二七、四二一円および右各金員に対し昭和四〇年一二月八日より右各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする」との判決ならびに仮執行の宣言。

二、原告

「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする」との判決。

第二、当事者の主張〈以下略〉

理由

一、勇次が昭和四〇年一二月八日県立病院従つて被告との間に勇次の胃の精密検査をし、もし異常があればその治療(胃剔除手術を含む)をする旨の契約をしたこと、勇次は右契約にもとづき同病院内科、レントゲン科などの精密検査を受けたうえ同月一五日胃剔除手術の目的で同病院外科に入院したこと、そして同月一七日勇次は同病院で三輪医師の執刀、医師大竹武の補助による胃亜全剔手術を受けたが手術後「急性心不全」により死亡したことは当事者間に争いがない。

ところで、勇次と被告との間の右契約は、勇次の病的症状の医学的解明をし、その症状に従い治療行為を施すことを内容とする準委任契約であると解するのが相当であり、県立病院従つて被告は右債務の本旨に従い善良な管理者の注意義務をもつてその債務を履行すべき義務がある。

二、ところで、原告は県立病院従つて被告は前記債務を不完全に履行し前記注意義務を懈怠したと主張し、その債務の履行に欠けるところはなく勇次の死亡は被告の責に帰すべからざる事由によると抗弁するので判断する。

(一)、勇次が昭和四〇年一一月六日財団法人福島県成人病予防協会の集団検診で胃前庭炎により要注意である旨の診断を受けたこと、そこで同年一二月八日県立病院内科で精密検査を受け、さらに同月一三日同病院レントゲン科谷井医師により胃レントゲン検査を受けて同医師からレントゲン写真による診断の結果「胃腫瘍、恐らくガン性に変化」との所見を言渡されたことは当事者間に争いがない。

そして、証人三輪浩次、同谷井東助、同三鈷吉雄、同遠藤静江、同坂内照子、同山内トミ子の各証言、鑑定人白鳥常男の鑑定結果、検証の結果(証拠保全手続)、昭和四四年二月二〇日検証の結果、原告節子本人尋問の結果ならびに弁論の全趣旨を総合すると、

(イ)、勇次が昭和四〇年一二月九日県立病院内科で受けた糞便潜血検査では陰性であつたがガストロテスト(胃液酸度の検査)の結果は低酸であつたこと、前記レントゲン写真には胃の前庭部(幽門部)に陰影欠損がみられること、三輪、谷井両医師は共に右レントゲン写真を検討し、右陰影欠損部分には悪性の腫瘍があり早期ガンの疑いがあると診断しすみやかに胃剔除手術の必要があると意見の一致をみたこと、谷井医師は同月一三日勇次に対し、翌一四日原告節子およびその姪で看護婦である山内トミ子に対し、三輪医師は翌一五日勇次および原告節子に対しいずれも右診断の結果(もつとも勇次に対しては腫瘍である旨のみを)および早期に胃剔除手術をする必要がある旨を右諸検査の結果および他の症例を示しながら説明し、勇次においてこれを納得し同日同病院外科に入院したこと、谷井、三輪両医師とも右説明の際勇次に対しさらに胃カメラ検査を受けることをすすめたが同人は結局これを受けなかつたこと

(ロ)、県立病院は勇次に対し手術前に必要な検査として心臓、肺、肝などの機能、血圧、血液、血清化学的検査、糞、尿などの諸検査を行ない胃剔除手術およびその際の全身麻酔に支障をきたす所見のないことを確認したこと、同月一七日該手術を妨げる異常所見はなく所定の処置をし、午後一時二〇分ごろ手術前準備としてアトロビン、フエノバールを注射したうえ午後一時三〇分勇次を病室から手術室まで搬送し、午後二時一五分ごろから気管内挿管による全身麻酔のためまず睡眠剤イソゾール、筋弛緩剤サクシン、酸素を使用して気管内に挿管のうえ笑気、エーテル、酸素を併用して勇次を麻酔状態にし、筋弛緩のためアメリゾールを使用して手術を開始したこと、右および以後の麻酔施用に際しては執刀者三輪医師の指示に従いながら同病院三鈷看護人がこれにあたり、手術終了五分前まで維持麻酔薬として笑気、エーテル、酸素を適宜使用し、筋弛緩剤アメリゾールを午後四時一〇分を最後として前後四回使用したが、その間勇次の血圧、脈搏、呼吸等に異常な徴候はみられなかつたこと、手術は三輪医師が執刀開腹したところ十二指腸の前壁に潰瘍があり、胃にはつきりした潰瘍はみられなかつたが胃前庭部を触診した結果胃壁が肥厚し、幽門部下部のリンパ節に数個、小彎に一個硬固なるものを触れたので同医師は胃炎かもしれないが胃粘膜ガンを否定することができずこれを慮り、ガンに準じて胃亜全剔手術は午後四時三〇分ごろ終了し、この間異常な出血等はみられず順調に経過したこと、手術終了後しばらくして三輪医師は勇次の呼吸が十分深く規則的であり、呼べば眼瞼を開き、口を動かし半覚醒の状態にあることを確認したうえ午後四時四五分ごろ酸素を送入していた気管内の管を抜き、気管内および口腔内の分泌物による異常のないことなどをみながら約五分間勇次を手術室で看護した後三鈷看護人を通じ看護婦に勇次を手術室から病室まで搬送するよう命じたこと。

(ハ)、搬送を命じられた看護婦坂内照子、同星名三江両名は輸送車に敷布団、シーツ、ゴム敷布を敷き、湯タンポを入れて勇次を乗せ毛布をかけて手術室から途中エレベーターを利用して合計八四メートルの廊下を経て病室に午後四時五五分ごろ着いたがその間右両名のみ附添い、医師は附添わなかつたこと、右病室には小型の酸素ボンベ一本があるだけで救急の措置をとりうる態勢には通常ないこと、帰室後直ちに輪送車から勇次をベットに移し右星においてマスクにより酸素吸入を施し、坂内において血圧および脈搏を計つたところ血圧一一〇―七〇、脈搏三六で徐脈となり、口唇および爪にチアノーゼが現出しており勇次の容態に異常がみられたこと、折から看護婦遠藤静江も右病室に来て異常を知り直ちに三輪医師に連絡をとり同医師の指示でアトロビン、ビタカンフアを注射したこと、やがて同医師も右病室にかけつけたが勇次は既に呼吸停止し脈もほとんど感じられない状態にあつたが瞳孔はまだ散大していない状態であつたので心搏停止状態と判断して直ちに心臓マッサーージを開始し、同時に他の二名の医師の応援を求め、気管内に再び挿管して酸素を送入し、アドレナリン、ボスミン(血圧上昇剤)、呼吸促進剤テラブチック、ビタカンフアを注射したこと、しかし午後五時一五分瞳孔散大し、遂に死亡するに至つたこと、なお当初使用していたマスクによる酸素吸入は右危急時に至つて不十分であつたため、気管内挿管による人工酸素吸入をするのに必要な吸入機および酸素ボンベは右病室にはなく前記手術室から搬入することになつたがこれに多少の時間を要したこと、

(ニ)  手術後三輪医師は剔除した勇次の胃を切開したが胃壁肥厚がみられ幽門部粘膜に横走する縮面状の小さなしわを認め粘膜ガンの疑いがあると考えたこと、しかし、後の同病院臨床病理検査科の病的材料検査によると勇次の剔除された胃の上皮は不整または不定形でまれに核分裂もみられるが悪性とはいえず、リンパ節にも異変がなく胃炎であると判断されたこと

がそれぞれ認められ証人坂内照子、同遠藤静江の各証言ならびに原告節子本人尋問の結果中右認定に反する部分は措信できず、他に右認定に反する証拠はない。

(二)  〈証拠〉を総合して考えるとレントゲン写真で勇次の胃の前庭部に存在する陰影欠損部分についてガストロテストの結果が低酸であつた事実の下においては胃前庭部に早期ガンの疑いが濃厚であると診断することは相当であつて現在胃ガンの疑いがある場合の根治方法としては手術によりこれを剔除するほかないのであるから谷井、三輪両医師において前記(一)の(イ)、(ロ)認定のとおり診断し、胃剔除手術をすすめ、これを施行したことについては前記契約上の債務の履行について何ら欠けるところはなく、同(ニ)認定の病理的検査の結果胃ガンではなかつたことが判明したとしても右診断および手術施行について何ら責むべき事情はないものと認められ、また、右診断にもとづいてなされた胃剔除手術のための事前の諸検査の施行およびその結果判断、胃剔除手術の施行、方法、手順、手術前準備措置、導入麻酔、気管内挿管および抜管維持麻酔、麻酔吸入停止、筋弛緩剤使用などの時期、量、手順などについてはその間何らの落度はなく前記債務の本旨に従いその治療行為が遂行されたものと認められ右認定を左右するに足る証拠はない。

なお、勇次が胃カメラ検査を受けなかつたこと(証人三輪浩次の勇次が該検査を拒否したため施行できなかつた旨の証言はにわかに措信しがたく、該検査を受けなかつた事情につき他に証拠はなくその事情は不明である。)は前記認定のとおりであり〈証拠〉によると、勇次につき胃カメラ検査等の一層精密な検査を施行しその病状を確認することは望ましいことであるが前記陰影欠損状態および低酸反応がみられる以上該診断に及ぶことはレントゲン写真のみによる診断の誤診率約一〇パーセント、内視鏡細胞診をも加えた診断の誤診率四ないし五パーセントという医学レベルもあわせ考えると相当であると認められるからこの点につき三輪谷井両医師らの責任を問うことはできない。

(三) ところで勇次が手術後「急性心不全」により死亡したことは当事者間に争いがないところであるが鑑定人白鳥常男の鑑定の結果、検証の結果(証拠保全手続)ならびに前記(一)の(ロ)認定の事実を総合すると胃手術後の心不全は心臓に直接の原因がある場合と心臓以外に原因があつて二次的に起こる場合があるが勇次については手術前の検査ことに心電図に異常所見はなく、手術、麻酔の経過も順調であるからその原因を心臓自身に求めることはできないこと、二次的に心不全を起こす原因は前記認定のとおり手術および麻酔が順調に経過終了し気管に挿入した管を抜いて間もなく心不全が起こつている本件のような場合には右抜管直後に起こる呼吸不全である可能性が強いこと、右呼吸不全の原因は嘔吐による吐物の気管内吸引、胃内容物の溢流、舌根沈下、喉頭けいれんなどが考えられるが本件においては覚醒時に嘔吐がなかつたし、また胃剔除により胃内容物の溢流はありえないから前二者の原因は右呼吸不全の原因とはならないこと、喉頭けいれんは麻酔から覚醒し、神経、筋系の機能が回復しかけた時期に起こるが、実際的には抜管直後あるいは抜管後約一〇分ごろまでの間に起こること、また舌根沈下も覚醒期に起こるか下顎骨の沈下に伴つて起こるので喉頭けいれんよりも深い麻酔状態で起こるが、麻酔の覚醒期には刺激に対して正常に近い反射を示しても刺激に反応した直後には深い眠りに陥ることがあるという不安定な状態がみられこの時期に舌根沈下が起こることがあること、ところで三輪医師は勇次の気管内に挿入した管を抜いた後約五分位して病室への搬送を命じその五分後には病室に搬入され、その直後にすでに徐脈、チアノーゼがみられたのであるから右指示後帰室までの間に喉頭けいれんもしくは舌根沈下が起つた可能性が強いことが認められ、証人三輪浩次の証言中右認定に反する部分は措信できず他に右認定に反する証拠はない。

そうすると、三輪医師が呼吸停止に配慮して右抜管の時期の判定は非常に困難なことであるとしながら(証人三輪浩次の証言によつて認める。)抜管後少くとも約一〇分間は右呼吸不全を起こす可能性が強いのにこれに十分配慮せずわずか五分にして勇次を看護婦のみの監視下に置き、救急措置設備の十分でない病室に帰室せしめたことは、前記治療契約上の債務の履行にあたり勇次の死亡に対して責に帰すべき事由がなかつたものと認めることはできない。この点につき不可抗力であるとする証人三輪浩次の証言は採用することができない。

(四)  心不全惹起後三輪医師の採つた(一)の(ハ)認定の措置については医療行為上何ら欠けるところはないものと認められ、この認定に反する証拠はない。

以上の次第で、県立病院の維持管理者である被告県には、被告県の公務員であり、県立病院の履行補助者である三輪医師らの前記契約上の債務の履行について、右(三)の点において不完全で結局勇次を死亡するに至らしめた責任があり、よつて生じた損害につき診療債務の負担者として賠償すべき義務がある。

三、そこで、損害額につき判断する。

(一)、(イ)、逸失利益

〈証拠〉によれば、勇次は本件死亡事故当時会津若松市内漆器店に勤務する三九才(大正一五年九月八日生)の妻子を有する健康な男子で一カ月二万五九九四円の給料および少くとも年間三万七〇〇〇円の賞与を得ていたこと一カ月の生活費が一万一九九四円であつたことが認められこの認定に反する証拠はない。

右事実によれば勇次は死亡しなければ平均余命32.64年(厚生省第一二回生命表)の範囲内である六三才まで稼働し(二四年間)、その間年額二〇万五〇〇〇円の純収益をあげえたものと推認され、これによると勇次が死亡したことによつて喪失した得べかりし利益は、次のとおり三一七万七四三八円(円未満切捨)と算定される(ホフマン複式年別計算により年五分の割合による中間利息を控除)。

20万5000円×15.4997=317万7438円

(ロ)、勇次の慰藉料

〈証拠〉によれば勇次は死亡時三九才で働き盛りであつたのに妻子を残して死亡しその精神的苦痛は甚大であつたと推認されるが前記一、二で認定した本件診療事故の経緯、被告の過失の程度、診療契約の趣旨等諸般の事情に鑑み右精神的損害を慰藉すべき額は六〇万円と認めるのが相当である。

(ハ)、原告節子は勇次の妻、原告順子、同由美子は勇次の子であることは当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、右三名が勇次の相続人の全部であることが認められるから、右(イ)、(ロ)の合算額三七七万七四三八円を法定相続分に従い三分の一ずつ相続すると原告節子、同順子、同由美子の相続分は各一二五万九一四六円である。

(二)  葬式費用

〈証拠〉に勇次の死亡時の年令、家族構成、職業等諸般の事情を総合して考えると勇次の死亡と相当な因果関係があり被告において賠償すべき葬式費用は原告節子の請求する一〇万円を下らないこと、これを原告節子が負担したことが認められる。

(三)、原告らの慰藉料

〈証拠〉によれば一家の支柱を失つた原告節子、同順子、同由美子の、我が子を失つた原告金太郎の精神的苦痛は甚大なものであることが認められ、諸般の事情を考慮すると右精神的損害を慰藉すべき額は原告節子につき四〇万円、原告順子、同由美子につき各二〇万円、原告金太郎につき一〇万円が相当であると認める。

(四)、弁護士費用

〈証拠〉によると原告らは本件訴訟の遂行を弁護士風間誌一郎に委任し、勝訴の場合には本件請求額五八六万八五五四円の二割を支払う旨の契約をしたことが認められるが、本件訴訟の難易度、請求額、認容額など諸般の事情を考慮すると本件死亡事故と相当な因果関係があり被告において賠償すべき額は原告節子につき一七万円、原告順子、同由美子につき各一四万円、原告金太郎につき一万円が相当であると認める。

(五)  以上、被告節子に対し一九二万九一四六円、原告順子、同由美子に対し各一五九万九一四六円、原告金太郎に対し一一万円および右各金員に対する本件訴状が被告に送達された日の翌日であることが本件記録上明らかな昭和四二年一〇月二二日以降民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務がある。

四、よつて、本訴請求は前記認定の限度で理由があるからこれを認容し、その余は理由がないからこれを棄却することとし訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条一項本文を適用し、仮執行の宣言につき同法一九六条一項、を適用して主文のとおり判決する。

(村上守次 山田忠治 仁田陸郎)

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